薬剤経済学の真髄

薬剤経済学(医療経済評価)・医療技術評価(HTA)による分析が、医薬品・医療機器の価値を評価し、適正な価格を検討する上で重要なエビデンスになります。薬剤経済学の分析方法や考え方は、今後医療業界では欠かせない知識となるでしょう。

価値に見合った価格

最近、薬剤経済学(医療経済評価)や医療技術評価(HTA)に関する議論が行われる中で、しばしば「価値に見合った価格」という言葉を目にします。しかしそもそも医薬品あるいは医療機器の価値とはどのように評価すればよいのでしょうか。

最近ではブランドや知的財産権など、いわゆる見えない資産の価値評価が盛んに行われています。知的財産の評価では、特定の知的財産があった場合となかった場合の企業の評価額の差を、その知的財産価値と考えるような方法もあります。しかしこの方法は医薬品/医療機器の価値評価には使えません。それは、知的財産の評価は企業の立場から会計的な基準に従っておこなえばよいのですが、医薬品/医療機器の評価は社会全体としての立場から行わなければならないからです。

図1医薬品/医療機器の価値とは?

医薬品・医療機器の価値

それでは医薬品/医療機器の価値はどのように評価できるのでしょうか?我々は、医薬品/医療機器の価値は、生命予後(生存年数)とQOLの改善によって評価できると考えています(図1)。つまり、新しい薬によって余命を何年延長できるのか、あるいはどれだけQOLを改善することができるのか、ということです。これ以外に何か医薬品/医療機器の価値を評価する指標があるでしょうか?剤型変更で患者さんが飲みやすくなることも、患者さんのQOLの改善によって評価できます。医薬品/医療機器に関わらず、すべての医療行為は、究極的には必ず生命予後とQOLによって評価することが可能なのです。そしてこれらを単一の指標で評価できるのが、質調整生存年(QALYs:Quality Adjusted Life Years)という考え方です。

QALYs(質調整生存年)

QALYs(クオーリー(ズ)と読みます)の考え方は大変単純です。図2をご覧ください。 この図は横軸が生存年、縦軸がQOLを示しています。QOLは0を死亡、1を完全な健康とした数直線上で示しており、このようなQOLを効用値(utility)と呼びます。ここで2名の患者さんの生命予後と効用値の変化を考えてみます。

図2質で調整した生存年(QALYs)

質で調整した生存年(QALYs)

患者Aは最初は完全な健康状態(効用値=1)でしたが、10年目に何かの病気をして、効用値が0.8に悪化しました。その状態で10年間過ごし、最初から数えて20年目にまた何か病気をして今度は効用値が0.5に悪化しました。さらに10年後に効用値が0.2に悪化し、その10年後に亡くなりました。

一方患者Bは最初から健康状態が悪く、効用値は0.5でした。しかしそのまま40年間過ごし、40年目に亡くなりました。

この2人の患者の生存年数は40年間で同じです。しかし、2人の40年の過ごし方は明らかに違います。長期間の生命予後を解析する生存解析にはQOLの変化を考慮するしくみがないので、生存解析では残念ながらこの2人の患者を区別することはできません。そこでQALYsの登場です。QALYsの考え方は非常にシンプルで、生存年数を効用値(QOL)で重み付けして累積すればよいのです。

例えば患者AのQALYsは下記のように計算されます。

患者AのQALYs=10年×1.0+10年×0.8+10年×0.5+10年×0.2=25QALYs

同様に患者BのQALYsは下記のように計算されます。

患者BのQALYs=40年×0.5=20QALYs

このように、生存解析では区別できなかった2人の患者を、QALYsで評価することによって見事に区別することができました。
ほとんどの疾患は生命予後とQOLの両方に影響を与えますが、多くの臨床試験ではどちらか一方だけしか評価されていなかったり、仮に両方評価されていたとしても、それぞれ別々に評価され、生命予後とQOLを統合した評価は行われていませんでした。臨床的な評価としてはそれでもよかったのですが、「薬剤の価値」として客観的な評価を行うためには、QALYsによる評価が必要になります。

薬剤経済学とは

価値に見合った価格を考えるためには、医薬品/医療機器の価値と、関連する費用の両方を相対的に評価することが必要となります。それこそがまさに薬剤経済学(医療経済評価)です。つまり、価値に見合った価格を考えることは薬剤経済学そのものなわけです。

図3薬剤経済学とは

薬剤経済学

モデル

「医薬品/医療機器の価値」は、QALYsによって評価できるのですが、ここで現実的な問題がひとつ発生します。降圧薬の価値評価を例に考えてみましょう。降圧薬の臨床的な評価は、臨床試験によってどの程度の患者に降圧効果が認められたかどうかによって評価されます。しかしQALYsによる評価のためには、降圧効果による余命の延長と生涯におけるQOLの変化を定量化しなければなりません。そのためには、降圧効果による脳卒中発生の抑制や、脳卒中後の障害度分布、障害度による生命予後の違いなどを推計する必要があります。製造承認と薬価申請のための臨床試験期間が長くても数ヶ月程度、いわゆる大規模臨床試験と言われるものでも数年程度であることを考えると、QALYsによる評価に必要な様々なデータを臨床試験から入手することは到底不可能なことのように思えます。

薬剤経済学(医療経済評価)では、このような臨床試験の限界を突破するために、「モデル」を使います。モデルとは、治療の流れや疾患の長期的な予後を人工的に構築したものです。薬剤経済学では、モデルを使って臨床試験期間を超えた時間範囲におけるイベントの発生や生命予後、関連する費用(医療費や介護費用など)を推計します(図4)。

図4臨床試験とモデルシミュレーション

臨床試験とモデルシミュレーション

急性疾患の分析には、ディシジョンツリーというモデルがよく使われます(図5)。ディシジョンツリーの構造は非常にシンプルで、治療や疾患の流れを左側から右側に向かって組み立てていきます。「治療を開始して3日目に初期治療効果を判定する。有効な場合は治療継続、効果不十分な場合は、別の薬剤に切り替える。効果不十分な確率は5%・・・」のように起こりうるシナリオと確率によってツリーを構築します。ディシジョンツリーによってある治療を行った場合に、確率的に期待できる費用や生存年数を推計することができます。これらを期待費用、期待生存年と呼びます。

図5デシジョンツリー

デシジョンツリー

一方慢性疾患の分析では、マルコフモデルというモデルがよく使われます(図6-1)。マルコフモデルは、長期疾患の予後を、いくつかのステージに分類し、患者が一定の期間にそのステージ間をどのように進んでいくかをシミュレーションします。図6-1は仮想的な疾患Aの予後に関するマルコフモデルです。この疾患Aに対する新薬Aは、病態悪化率(及び死亡率)を従来療法よりも50%抑制する効果があるとして、マルコフモデルによってシミュレーションした生存曲線(10年間)が図6-2になります。このシミュレーションから2群の期待生存年の差は0.9年であることもわかります。

図6-1マルコフモデル

マルコフモデル

図6-2マルコフモデルによるシミュレーション(生存曲線)

マルコフモデルによるシミュレーション(生存曲線)

さらに糖尿病のように複数の疾患が同時に進行していく疾患の分析には、モンテカルロシミュレーションという手法が用いられる場合もあります。モデルの詳しい説明は、勁草書房から出版されている「講座 医療経済・政策学 第4巻 医療技術・医薬品」の第5章、「臨床経済学のためのモデル分析」をご覧ください。

費用対効果の評価指標

モデルにより、長期的なQALYsや費用を推計することができますが、医薬品/医療機器の費用対効果とはどのように評価したらよいのでしょうか。

例えば、ある疾患に対する既存薬Aに対する新薬Bの評価を考えます(図7)。もしも新薬Bの総費用(薬剤費だけではなく、長期的に発生する関連費用)が既存薬Aの総費用よりも小さく、QALYsが大きい結果となった場合は、非常にシンプルな結論が導かれます。すなわち、迷わず新薬Bを選択すべし、です。反対に、新薬Bの方が費用が大きくQALYsが小さい場合は、新薬Bを選択する理由は何もありません。

問題は、新薬Bの費用が既存薬Aよりも大きく、QALYsも大きい場合です(その逆の場合もありますが、現実には新薬Bは既存薬AよりもQALYsが大きい(あるいは等しい)ことが前提になりますから、反対の場合の議論は割愛します)。言い換えれば、既存薬Aよりも新薬Bは、効果(QALY)が大きいが、その分費用が余計にかかってしまうというわけです。

図7費用対効果平面

費用対効果平面

このような場合は、既存薬Aから1QALY延長するために必要となる追加費用で、新薬Bの費用対効果を評価します。これを増分費用対効果(incremental cost-effectiveness ratio: ICER)と言います。図8はICERの例です。新薬Bは既存薬Aよりも2QALYs延長することができますが、費用も200万円多く発生してしまいます。このときICERは

200万円/2QALYs=100万円/1QALY延長

となります。

図8ICERの考え方

ICERの考え方

問題はこの100万円のICERが高いか安いか、です。実はいくつかの国では、すでに薬剤経済学が公的な医療政策に応用されています。費用効果的(cost-effective)と考えられるICERの限界値は、例えば英国では3万ポンド、米国では5万ドルと考えられているようです。日本円にすれば500万円から600万円といったところでしょうか。日本ではこうした議論はまだあまり多くありませんが、一部の研究者からは海外のICERの限界値と同様の限界値も報告されています。

とかく日本では、医療費が多くかかることが悪いことのように言われることが多いのですが、実は薬剤経済学を公的に利用している国でそのような考え方をしている国はひとつもありません。仮に医療費が多くかかることになったとしても、それに見合った価値があるのであれば許容しよう、という考え方をしています。そしてそれこそが薬剤経済学の考え方なのです。

不確実性の扱い

モデル分析は、臨床試験期間を超えた時間範囲における費用対効果を推計するための非常に強力なツールなのですが、問題点もあります。最も大きな問題は、使用するパラメータの不確実性の扱いです。例えばサイコロをふって1が出る確率は1/6です。1がでるかどうかはわかりませんが、1回サイコロをふって1がでる確率(1/6)には不確実性はありません。しかし、降圧剤の有効率などはどうでしょうか。例えばある臨床試験で有効率85%という結果になったとしましょう。ただし95%信頼区間は75%~95%だったとします。真の有効率は95%の確率でこの範囲に収まりますが、どこに真の値があるかを正確に示すことはできません。つまり有効率85%には不確実性があるわけです。

こうした不確実性による影響を確認するために、モデルを使った薬剤経済分析では感度分析を行います。感度分析とは、使用したパラメータを一定の範囲で変化させた場合に結果がどのように変化するかを検証する手法です。例えば、さきほどの降圧剤の有効率(85%)を実際に95%信頼区間(75%~95%)で変化させてみて、「費用効果的である」という結論が変化しないかどうかを検証するのです。パラメータの値を変化させるのですから、結果の数字は当然変化しますが、それでもICERが限界値(例えば600万円)を下回っていれば、費用効果的である、という結論は維持されます。ひとつのパラメータを対象とした場合の感度分析を一元感度分析(図9)、同時に2つのパラメータを変化させる感度分析を二元感度分析(図10)と呼びます。

図9一元感度分析

一元感度分析

図10二元感度分析

二元感度分析

さらに高度な感度分析に、パラメータの不確実性をそのまま確率分布として扱い、確率的に結果を検証しようとする方法があります。これを確率的感度分析(probabilistic sensitivity analysis)と呼びます。代表的な方法にモンテカルロシミュレーションがあります(図11)。確率的感度分析を実施すると、ICERが限界値に収まる確率を示すことができます。横軸にICERの限界値を、縦軸にその限界値に収まる確率をとったグラフは費用対効果受容曲線(cost-effectiveness acceptability curve)と呼ばれ、最近の分析ではよく登場しています。

図11モンテカルロシミュレーションの結果

モンテカルロシミュレーションの結果

例えば図12からは、分析対象の薬剤のICERが600万円以内になる確率はおよそ60%であることがわかります。

図12費用対効果受容曲線(cost-effectiveness acceptability curve)

費用対効果受容曲線(cost-effectiveness acceptability curve)

薬剤経済学の応用

医薬品/医療機器の真の価値は、生命予後と効用値で評価することができ、それはQALYsで統合的に評価できることを示しました。長期的な推計はモデルを使うことにより可能になり、また費用との相対評価では、ICERにより費用対効果を評価できることを示しました。さらに、確率的感度分析により、結果の不確実性を定量的に評価することができることも示しました。

こうした科学的な評価方法により、医薬品/医療機器の真の価値を評価することは、いろいろな意味で非常に有益です。薬価に対する議論についてももちろん応用が可能でしょう。また、このような手法は医薬品/医療機器だけではなく、すべての医療行為を対象に行うことができます。

薬剤経済学(医療経済評価)・医療技術評価(HTA)は、製薬/医療機器会社が自社製品のポートフォリオを検討する場合にも、非常に重要なインプットになります。QALYsは医薬品/医療機器の価値そのものなのですから、その会社が持っている製品の総QALYsがその会社の企業価値と考えることもできるかもしれません。
またモデルは薬剤経済学における大きな特徴のひとつですが、開発/マーケティング戦略を考える場合は、モデルそのものが有用なツールになります。例えば、臨床試験を実施する前に有効率や安全性に関する不確実性について、様々なシミュレーションを行うことができます。また患者の予後や費用対効果に影響力の大きいパラメータを識別することもできますから、もしそのパラメータに関連するエビデンスがまだ明らかになっていなければ、新しいスタディを計画するきっかけになるかもしれません。またモデルは治療の流れと疾患の長期予後を構造化したものですが、この考え方は治療ガイドラインの検討などにも応用することができます。薬剤経済学の本来のアウトプットは、費用対効果の観点からの医薬品/医療機器の取捨選択に関する情報ですが、薬剤経済学の手法は様々な領域で応用可能なのです。